2009年12月14日

製材所の復活!

IMG_2939.JPG 小田原は木工の町だった!?いや、今でも木工の町のはずなのだが・・・自信を持って言えないほど小田原の木工産業は衰退している。私の子供のころ(40年以上前)はいたるところにサラダボールやお椀をつくるロクロを回す工場(コウバと読む)やそうゆう木工製品を入れる箱屋さんなどなど、実にさまざまな町工場があった。同級生には、サラリーマンの家庭は少なく、サラリーマン家庭はあこがれの的だった。

 そんな中、木を扱う材木屋さんも100m歩く通りに何件もあるぐらいいっぱいあったが、この数年のうちに瞬く間に材木屋さんの軒数も減ってしまった。私の同級生にも材木屋は2人いて、内1人はコンビニへと変身。もう一人の同級生は唯一残った製材をする材木屋だったが、ついに廃業してしまった。今年の9月に!・・・。

 これで小田原の木工産業(自前ですべてを供給することが出来た産業構造)が終わったと思いたくはなかったが、どうにも出来るものではなく暗澹たるおもいでいた。
 
 何とか出来ないものかと、県の林務課の担当者に、「県産材の家づくり」とか言って何も手当てできたないことを食ってかかったりもした。山には売れない木がある、これが売れれば製材所は必要不可欠の事業なのだ。しかし、住宅産業の急速な落ち込みにどうにも抗しきれず、私の力でどうにもなることでないと分かりつつも、なんとかなってくれと天を仰ぐばかりだった。

 ところが師走に入って製材所の(元)社長が知り合いの製材所(ここも実質製材はやっておらず建築業の傍らなんとか製材機械だけは残していた)を借りて出来るだけの事はすると言ってくれた。実は秦野で昨年伐った、新月材をいよいよ製材しなければならず、神奈川で唯一残った製材所に頼もうと思った矢先なので、本当に救われた思いでバンザイ三唱を上げたくなった。

 製材所の復活が何を意味するのか私の持論を展開したいと思うが次回にする。(おっと 肩すかしでごめんなさい)

 まずは頑張れ製材屋さん!!



posted by 水土の考現者 at 19:47 | TrackBack(0) | なりわい再考

欠ノ上

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 いよいよ欠の上の田んぼの作業がはじまった。参加者は17人、子供もいたので実質作業者は12人だったが、ひどく荒れた竹林も2/3がきれいに片付いた。もちろん本当は新月前に竹を伐るのが目的だったのだが、足の踏み場がないほど枯れた竹が折り重なり、どうにも予定どうりには行かず伐採までに至らなかった.
きれいに片付いた竹林は見事で、夏はここで子供たちが遊ぶのに絶好の場所になるに違いないと思う。

 参加者は、自分の田んぼをしたい人が4組いる。どのように割り振るかこれからだが、皆、張り切っている。自分の分は自分で自給することを目標に持つことはいいことだ。しかし、どうやっても自分ひとりで出来ないのも事実、いろいろの手助けがあって成り立つのが本当の姿なのだとおもう。田んぼが機械化によって個別の作業で出来るような現代農業では、助け合い補い合いは必要なくなったのかもしれない。田んぼが地域ごとの共同作業だった時代には、地主と小作の関係や田んぼの水争いなどいろいろの軋轢もあっただろうが、今の時代には敢えて人と関わりを持つ共同作業の場は必要なのだと思う。
posted by 水土の考現者 at 13:45 | TrackBack(0) | 田んぼや畑